アナログテレビ

ついにXデーがあと二日になってしまった。
レコードがCDになったときも、写真がフィルムからデジタルになったときも、だんだん入れ替わってきたので「ついにこの日が来てしまった!」ということは無かった。
時計にデジタルが増えたのは僕が高校生の頃だった。でもやがて「デジアナ」なんていう機種が登場したり、「ハイブリッド」という機種が人気になったりで、アナログとデジタルは共存していた。今では、なんとなくデジタルは安物、アナログは高級という感じになっている。でも文字盤(アナログ)の時計でも中身はすっかりデジタルだったりするわけで、見かけはアナログでも魂はデジタルになっている。もっとずっと高級品だと、中身も機械でカチカチ動いているアナログ時計だ。腕を振ると小さくヒュンヒュンと音がしてぜんまいがチャージされる自動巻き時計も高級品では健在だ。こういうものを作り続けるのは技術継承の意味もあるということを、インタビュー記事でセイコーの人が言っているのを読んだことがある。
テレビでアナログとデジタルが共存しているのはまさに今。あと二日を最後にして強制的に共存関係は断ち切られ、アナログは滅び、デジタルだけが生き残る。ただし、アナログテレビの受像機は、デジタルチューナーを繋ぐことで生き延びることが出来る。これは、魂を入れ替えることにも見えなくない。将棋の駒みたいな感じもする。さっきまでこっちの味方だった飛車が、相手の捕虜になったとたん、こちらに向かって攻めてくるような。
レコードのためには、針もターンテーブルもまだ売られている。アンプにもPhono端子がついているものが多くある。カメラのためにもフィルムがまだ売られている。でも、アナログテレビは自分の身体に内蔵されているアナログチューナーでテレビ放送を受信することは出来なくなってしまう。時計のように盛り返すことは叶わない。
僕がアナログテレビを残せと主張しているように感じたとすれば、それは誤解。僕の家では随分前にデジタルテレビに替えてしまった。ただ、そのテレビがアナログチューナーとデジタルチューナーの両方を内蔵している過渡期の機種なので、たまにアナログを映してみて「あと○日かぁ」なんて言っているだけだ。甲府ではつい数ヶ月前まで、ケーブルでテレビ東京が見られなかったので、テレ東だけはアナログで見ていた。今はそれも必要ない。
この次、デジタルとアナログが交代するものは何になるだろう。