愛宕山の住宅地

今日の職場は愛宕山の麓にある、ことぶき歓学院の建物だった。そこから愛宕山を見ると写真のようになる。普段の職場である建物はてっぺんの林に隠されて見えない。その林の下には山の斜面を利用した眺望の良さそうな住宅がたくさん建てられている。
昔の白黒写真で見ると、この斜面は全て葡萄園で埋め尽くされていた。麓にも家々と同じぐらいの密度で葡萄園が広がっていた。今では、斜面でも麓でも葡萄園はすっかり減ってしまった。
10年以上前のことだが、岡山から来た同業者が、科学館の展望テラスから愛宕山の麓を見下ろして「岡山でもマスカットが名物だけど、こんなに街中に葡萄園があるのはびっくりした」と、甲府の葡萄栽培景観を賞賛していた。彼は景色を見て言ったわけだから、「味」ではなく「量」のことを言ったのだ。
葡萄の甲州種から醸される甲州ワインは、今では世界からもその美味しさが認められていると聞く。勝沼のワイン醸造家などが、甲州ワインの世界への普及を目論む話をするところをTVのローカルニュースや新聞記事などでたびたび目にする。僕は毎年の新酒の時期になると開催される新酒祭で、今年は何処のワイナリーが美味しいだろうかと飲み比べして一番美味しい甲州を買うことにしている。しかしその一方で、原材料である甲州種の作付面積や収穫量は年々減っている。
せっかく世間から高い評価を受けたのに、これから飛躍するための足元が緩んでしまった。そういうことは世の中を見渡しても、自分の周りを見回しても、案外あちこちに転がっている。自分自身にもある。あちらが立てばこちらが立たず、世の中の様々な成功ストーリーのひとつひとつを見ると、順風満帆で成功まで辿り着いた例は案外少ない。言い方を変えると、失敗、挫折、非難というものはその時々には苦しいものだが、もしも成功に至った場合には、そのストーリーの良い彩りになるということでもある。
僕は甲州ワインが好きなので、どこかに再び作付けが増え、上質なワインが世界で嗜まれることを期待する。このままでは悪戯に希少価値の高い高級品になってしまいかねない。安くて美味しいから気軽に飲める、それが僕の甲州ワインの印象。