壊れた腕時計

幼稚園の頃、ほんの一時期だったとは思うが、毎朝のように左の手首にボールペンで腕時計を描いてもらっていた。本物ではないのに喜んでいた覚えたある。
中学生の頃に、ついに自分の時計が手に入った。でも、僕のために買ってくれたものではない。話すと長くなるので簡単に言うと、無銭飲食の形に取ったという腕時計が巡り巡って僕の所にやって来たという物。時計の名前は、SEIKO Loadmatic というもので、白い文字盤で金属ベルトのごく普通の物で、ムーブメントは当時としてはごく普通の自動巻きだった。父親が持っていた時計が手巻きだったので、手に持って振るとブルンブルンという振動が伝わってくる自動巻きは面白かった。
高校生になると、みんなは入学祝いに腕時計を買ってもらっていた。4月の頃は初めて出会ったクラスメイトと時計の話で盛り上がっていた。その頃はテレビコマーシャルで時計もずいぶん宣伝されていた。当時は、甲斐バンドが唄う HERO という歌をテーマソングにした SEIKO の時計が人気で、デジタル時計が全盛だった。ストップウォッチ機能が付いていたり、アラーム機能が付いていたりで、みんなそれを自慢しあっていた。中には、スイス製の時計を買ってもらったという人もいた。そのスイス時計はカレンダー機能すらも付いていないシンプルなものだったが、ボディの厚みがすごく薄く、ガラスにも曲面が付いていて、僕には、機能満載の分厚いデジタル時計よりも格好良く見えた。
でも僕は中古の腕時計を持っていたので、新しい腕時計を買ってもらえなかった。同じ中古と言っても、誰かわかっている尊敬すべき人が付けていた物ではなく、名前も顔も知らない無銭飲食をするような人が付けていた時計だし、僕はその時計に対して愛着がわくことが無かった。それでもそういうものほど長持ちするもので、ずいぶん長持ちしてしまった。でも、ある日のこと、スイス時計を買ってもらっていたクラスメイトが「ああっ」と大きな声を出したことがあった。何かと思ったら、自慢の曲面ガラスが本体からポロリと落ちてしまっていた。スイス時計はすごいものだと思っていたのだが、いつもぞんざいな扱いをしていた僕の時計にはそんなことが無かったので、驚くと同時に日本製品の良さを見直した。
長持ちしていた僕の時計も、浪人していた頃に無くなってしまった。盗難であることは確実で、犯人もおよそ見当が付いている。恐らくあの男が質屋にでも持っていったのだろう。元々愛着の沸かない時計だったので、無くなったときにも落胆は特にしなかった。しかし、時計に側の立つとなかなか波乱の人生(時計生)だ。
時計がなくなっても特に困らなかった。当時はデジタル時計がとても安くなっていて、千円もしないような樹脂製のボディのものが溢れていて、何かのおまけでもらったような安っぽいものが僕の手元にもあったからだ。学生時代はそんな格安時計で過ぎていった。
就職してからもしばらくは安っぽい時計を使っていたが、そのうち SEIKO のちゃんとした時計も買った。それは、秒針も無い文字盤の時計で、ボディがすごく薄いものだった。高校生のときに気になっていたあのスイス時計が脳裏にあったのだと思う。秒針がないのは案外不便なものではあったが、薄さが気に入っていてビジネスではこれをつけることにしていた。でも、買ってから数年後、ガラスがぽろりと落ちたことがある。「ああっ」と声を上げたかどうかは覚えていないが、この瞬間から僕の日本製品への信頼はやや揺らいでしまった。それでも愛着の方はしっかりあったので、アロンアルファで点付けして固定し、長いこと使用した。
そして、普段着用ということで、写真の時計も購入した。買ってから20年ぐらい使ったと思う。ALBA FIELD GIAR という時計だ。この時計の文字盤は、ルミブライトという塗料が塗られていて、蓄光してくれるので天体写真を撮るときにずいぶん役に立った。ここ7,8年は、もっぱらこの時計を使っていた。腕に巻くのではなく、ズボンのポケットに入れていた。
1週間前の土曜日、愛宕山少年自然の家で仕事の際、この時計をうっかり落としてしまった。普段は落としてもなんともないというのに、今回は打ち所が悪かったのだろう、ガラスが割れてしまった。正確には、ガラスが主に内側で剥離してしまいシャーベット状になってしまった。ムーブメントは生きている。しかし、やがてシャリシャリのガラスが寄せ集まったところに差し掛かると、そこに引っかかって止まってしまう。
でも、いつぞやの時計のようにガラスが落ちてしまうようなことはなかった。その後のその仕事は携帯電話の時計を見ることで、不便ながらもなんとかしのぐことができた。そして僕には新しい腕時計が必要になった。