山の看板

今日出かけたのはこの林道ではないが、今日は煙草について気になったことがあった。
甲府市内の道を車で走っていたときのこと、2tの小型トラックの運転席から火がついたままの煙草を投げ捨てた人がいた。煙草を投げ捨てる人は時々見ることがある。車の中に灰皿があるだろうに、どうして外へ、しかも火がついたまま投げ捨ててしまうのだろう。灰皿を汚さないためだろうか、それとも灰皿が溢れているのだろうか。
数年前のことになるが、十字路の赤信号で止まったとき、前の車(国産高級車)が突然運転席のドアを開けた。そして灰皿の中身をぶちまけた。そしてそのまま信号が替わると走り去ってしまった。これについては更に呆れる。当時はガソリンスタンドでも「灰皿のゴミありますか?」なんて聞いてくれていたし、いくらでも正常に処分する機会はあっただろうに。と思いつつ、あの人にとっては公道にぶちまけるのが正常な処分だったのだろう、と軽蔑するしかなかった。
僕が子どもの頃には、ジュースの空き缶が国道の中央分離帯にたくさん捨てられていた。運転席の窓を開けて走りながら捨てられたのだろう。驚くことにコーラの瓶を窓から投げ捨てた人を見たこともあった。当時はすでに公害問題やゴミの問題は叫ばれていたし、学校でも教えられた。だから、大人たちのそういう仕業に対して子供ながらに腹を立てていた。
数十年経った今、車の窓からのゴミの投げ捨てはずいぶん減ったと思う。人々の意識の変化もあろうが、それ以上に世代の交代が寄与したのだろう。しかしまだ『「ゴミの投げ捨て世代」の残滓』がいて、火のついたままの煙草を投げ捨てている。