サルノコシカケ

散歩の途中で見つけた神社に入ったら、奥のほうにケヤキの巨木があった。裏側に回ってみると、サルノコシカケが生えていた。誰かが下から何かで突いた痕があった。幼稚園児ぐらいだと座れそうな大きさで、もしも座れたとすれば気分が良いかもしれない。

「どうせ『こしかけ』だろ」と言うと、そのこしかけは椅子ことではなくて、結婚までの期間だけを会社員として過ごす若い女性、もしくはその人が就いた職業や職種を表す言葉として使われる。この「どうせ」という言葉から、あまり良い意味で使われないことがわかるわけだが、あらためて考えてみるといろいろと思い巡らせてしまう。
例えば、このご時勢、夫婦共稼ぎではないと暮らしていけない人もいるだろう。経済的には大丈夫でも、年金問題から始まった老後への不安から、保険的意味を含めて仕事を続けている女性もいるだろう。そして今どきは、働く女性が尊しとされ専業主婦には冷たい不調があるから、一種の見栄を張る意味で仕事を続けている女性もいるかもしれない。結婚を機にバシッと仕事を辞めてしまえるのは、幸せなことなのかもしれない。つまり、「どうせこしかけだろ」という言葉には、結婚する幸せな女性や、その女性と結婚してその女性の収入源を断っても問題なく暮らせる経済力を持った男性に対しての「やっかみ」が含まれているとも考えられる。
サルノコシカケに座って高みの見物をするサルには、人間社会のこういうことはどのように見えるのだろうか。