夕焼けの中のカワセミ

今日は鏡開き。我が家は小さな小さな鏡餅型の容器をお供えしていた。今日になって容器を開いてみたら、中には直径4cmぐらいの小さな丸餅が二つだけ入っていた。それを更に小さく割り他の餅も併せて焼いて、ぜんざいにして食べた。これでいよいよお正月の雰囲気からもお別れだ。短いようだが、これですでに1年の30分の1が過ぎてしまった。
早いものだと思うところでもあるが、元日からのぴのきよ日記を見返すと、それなりに日々が過ぎたことが分かる。僕はこの11日間でいったい何をしただろうかと思い起こしてみる。それが自分の人生の中でどれだけの重みを持っているかを考えてみる。1年の30分の1ということは、10年の300分の1であり、50年の1500分の1である。
もちろん、マイナスが無ければプラスも無いわけで、毎日が常に掛け替えの無い重要な日々であるわけでもないだろう。「この11日間を省いたら僕の人生のこれまでの50年は無いに等しい」などという、まるで昔の青春ドラマのセリフのような激しい人生が幸福であるとも思えない。活動的あっても怠惰であってもどちらでもよかった11日間が、案外僕の人生の大きな部分を占めているだろうと思う。
食事に例えれば、今日は宴会、明日はフランス料理、明後日はバーベキューというような毎日が豪華な献立の連続というのが、青春ドラマ的な毎日が濃密な人生の日々であるとすれば、納豆だったか、焼き魚だったか、うどんだったか、カップめんだったか、数日前の食事を思い出せない程度の日々が、人生の中でどうでもよかった日々となる。僕に言わせれば、後者の方がたまに食べる豪華な献立を幸せに感じることが出来る。つまり、どうでもよかった日々は幸せなことを幸せに感じるために経過する必要がある。