雨上がりの御坂山地

昨日から降り続いていた雨は、今日の昼頃に止んだ。それから少しずつ雲が晴れ、夕方になって日が差し込んだ。御坂山地の山は、赤くなった斜めの日を浴びてまるで紅葉のように見えていた。そしてよく見ると頂の方は白くなっていた。どうやら標高の高いところには雪が降っていたようだ。
春の雪と聞くといろいろな思い出があるが、山梨県で思い出すのはあれだ。もう四半世紀も前のことになるが、当時東京にいた僕は仕事で毎週のように長野県へ行っていた。中央自動車道を利用し、山梨県を通過して原村や伊那へ行っていたのだ。その日は原村からの帰り道だった。午後になって降り出した雪はどんどん勢いを増していた。記憶の中ではゴールデンウィーク真っ最中の5月2日だったと思うのだが、もしかしたらもっと前のことだったかもしれない。
僕は窓の外が気になりながらも一方では会議が続き、その会議が終わってもそれぞれの打ち合わせが入る。必要な打ち合わせが終わったときには、既に周囲が白くなっていた。念のためラジオを聴いてみると、諏訪南インターはチェーン規制がかかっていた。仕方なく駐車場でひとりむなしくタイヤにチェーンを巻いた。そしてようやく現場を出られたのはあたりが真っ暗になってからだった。雪の坂道を下りインターまで来ると、インターの手前では、チェーンを巻く作業をしている車が何台も止まっていた。一足先にその嫌な作業を済ませていた僕は、そのままインターの入り口を入り中央道を東京の職場へ向かって走った。走ったといってもチェーンを巻いているのでノロノロ運転だ。退屈を紛らわすために聞いていたラジオから、チェーン規制の詳細情報が聞こえた。それが小淵沢インターまでで終わりだったか須玉インターまでだったかは忘れてしまったが、僕はその先の双葉サービスエリアに立ち寄ってチェーンを外し、颯爽とみぞれ交じりの雨が降る甲府盆地を東に向かって進んだ。
しかし雪というのはそう甘いものではない。勝沼インターを過ぎ笹子峠の登りに差し掛かると、再び天気がみぞれへ、そして雪へと変わった。トンネルの中の電光表示には、「出口雪」という注意を促す表示が出ていた。出口が近づくと多くの車は左車線に寄り、出口での安全を期して車間距離を取って慎重に走る。僕もその中の1台だった。
いよいよ出口というとき、右側の車線から1台の赤いセリカが左側車線の僕の車を抜いていった。「なんだあいつ」と思ってその車に一瞥をくれてやったが、トンネルから出た瞬間、真っ白に変わった景色の中であろうことかその赤いセリカはブレーキを踏んだのだ。しかもかなりしっかりと踏み込んだようだ。タイヤが滑り車体がぶるぶると震えるのが見えた。「バカ」そう思った次の瞬間、赤いセリカは右のガードレールにぶつかり、跳ね返った。そして僕の目の前を横切って左へ消えた。とっても至近距離だったがなんとかぶつからずに済んだ。赤いセリカはきっとガードレールにぶつかっただろうが、あまりにも近距離を通り過ぎたわけで、その車がどうなったのか、僕には確認するほどの時間は無かった。そして気持ちの余裕も無かった。しばらくのあいだドキドキが続いていた。
それから小仏トンネルまではずっと雪が続いていた。もうとっくに職場に到着しているはずの時刻に、僕はまだみぞれが降り続く渋滞の中に居た。渋滞といってもみんながゆっくり走っているだけのものであり、右側の車線が左側よりも少し早いだけだった。僕は先ほどの経験が生々しいわけで、のんびり左車線を走っていたのだが、相模湖あたりでぼろぼろに壊れた赤いセリカが右車線から再び僕を追い越して行った。