狙われた町

70年前の今夜、甲府の町はアメリカ軍の空襲によって壊滅的な打撃を受けた。1,127人もの人が死んだ「甲府空襲」は、別名「七夕空襲」とも呼ばれる。職場では戦後70年の節目の年ということもあって、表記のタイトルの企画展を開催した。
なぜ甲府が狙われたのかという理由については、いろいろな考え方がある。アメリカ軍の資料によれば、リストアップした180の都市の中から、軍事施設、軍需工場、交通の要衝、都市の密集度を考慮して空襲をしていたという。一方、狙われた理由として、ロッシェル塩と宝飾産業が挙げられることがある。甲府の葡萄酒醸造工場にはロッシェル塩の研究・生産施設が置かれていた。ロッシェル塩とは葡萄酒から取られる酒石酸から作られるもので、優れた音響特性を利用して潜水艦のソナーなどに利用されたり、海水の脱塩のためなど、軍からの要請が高かった。これは朝ドラの「花子とアン」や「マッサン」にも出てきた。宝飾産業も贅沢品禁止の法律があったため、生き残りのために軍需転用が進んでいた。なるほどそれらももっともな感じもする。実際、軍事施設が無傷だったのに対して両者には大量の焼夷弾が落され灰燼と化した。ただし雲量8の曇り空でもあった。
展示のために資料を調べていて、へー、と思ったのは当時の人口だった。直近の国政調査昭和15年のものだが、それを調べてみると、甲府は10万人を超える大きな町だったのだ。同じ夜に空襲を受けた、千葉、清水、明石のどの町よりも人口が多かったのだ。昔のことを想像するとき、どうしてもどこかに現在の基準を持ち込んでしまいがちだ。実際のところは、研究を続けている多くいるような、なかなか判明しない難しい問題だ。