宵の月と金星

年が明けて最初の日は、昨年末に引き続いてよく晴れた。
まだ正月休みは終わっていないが、今年の年末年始のテレビ番組には歴史ものが多いなと感じている。僕の場合はBSを見ることも多いのでそのせいかもしれない。年末年始は、これまでの一年のことを思い起こしたり、今後の一年について何となく想像したりというきっかけになるが、そういう時期に歴史ものを見せてもらえるというのはなかなか良い趣向だと思う。
僕は何年か前から、何かと「引き算で考える」ようになった。例えば何かの物を買いたいと思ったとき、それまでは末永く使いたいと考えてより良いものを買うよう心掛けていた。しかし、今は、あと何年使うだろうという事を考え、それを引き算する。そうすると、大抵のものは「買うに値しない物」ということになってしまう。気にしないで買えばいいのに、と言っていた妻が最近そんな心境になってきたようだ。お互い歳を取った。
ただし、あと何年生きるのか、特に健康寿命というやつがあと何年あるのかということは、今後のことを考える際にとても重要な数値なのだが、僕は僕のそれを知ることが残念ながらできない。だから、なんとなくあと十年から二十年生きるかもな、という程度の見通しで考える。しかし、明日死ぬかもしれないし、三十年後も元気でいるかもしれない。だから、僕の引き算には大きな問題があって、それはとても誤差と言える程度の数値ではない。そうは言え、僕が持っていたり使っていたりする物の中には、高校生の頃からとか中学生の頃からなんていう、三十年、四十年というような長持ちの物も有り、大したものでなくても愛着が湧いていたりもする。それは経験的には「買うに値した物」ということになるのかもしれない。歴史にもしもは禁物、とよく言われるが、僕という小さな歴史に注目しても、ここまで長持ちするならもっと良いものを買っておけば良かったと思うものはいくつもある。しかも、それを買ったときの心の状態や経済的な状況については大抵の場合は思い出せないという無責任な後悔だ。
あらためて歴史もののテレビ番組を見ると、スタジオで雄弁に語る人たちの中には、無責任な言い方が少なくないとあらためて感じる。それはきっと、結果が分かっている世代が、知っている結果からずる賢く堂々と引き算をしていることが見えるからだろう。