ミニ南極展

風邪を引いてだるいのに、手際が悪くて結局残業。
しかも、昨日までは暑苦しい晴れだったというのに、残業して帰るときには土砂降りの雨降り。車に行くまでにたっぷりと濡れてしまった。早く帰らなきゃ風邪が悪化しちゃう。

というわけでなんとか「ミニ南極展」のディスプレイを終えた。先月の終わりにお葬式が入ったりして、最後はドタバタになってしまったけれど、なんとかきれいにまとまった。
今年、2011年は、ノルウェーの探検家「アムンセン」が世界初の南極点到達から100周年にあたる。更に、アムンセンと競って世界初を目指した日本の探検家、白瀬矗(しらせ のぶ)の生誕150周年であり、白瀬が日本人として初めて南極を目指して旅立った途上から100周年にあたる。記念すべき年の開催としてはあまりにささやかな内容だが、それは別として。

ところで、僕が小学6年生のときだったと記憶しているが、国語の教科書に南極探検のことが載っていた覚えがある。世界初の南極点到達を競った、アムンセンとイギリスの探検家スコットの物語だった。たしか、下(げ)の教科書の巻頭だったのではないかと思う。巻頭だからこそ、ことさらその話を覚えているのだろう。しかも、漢字が凄く多くて一気に敷居を高くしてくれたというちょっと嫌な思い出も重なっている。
このときは「アムンセン」ではなく「アムンゼン」と濁点付きで書かれていた。だから僕は当然のようにアムンゼンと覚えていたのだが、近頃はアムンセンとする方が普通のようだ。たしかに、アンデルセンみたいに語尾が北欧的な印象を与えてくれる。教科書にあった物語は、アムンセンよりもスコットを中心に書かれており、アムンセンが先に南極点に到達したことに落胆したり、帰りに遭難して全員が死亡してしまったりと、ハッピーエンドに慣れさせられていた小学生としては驚きのものだった。

僕が白瀬矗のことを知ったのはずっと後のことだ。白瀬はアムンセンらに対抗すべく南極行きを目指したが、残念ながら資金難に苦しみ、南極大陸にようやく到達した時点で、すでにアムンセンは南極点到達を果たしていた。白瀬はそれでも南極点を目指して進む。(もっとも、その時点でアムンセンやスコットの快挙を知らなかったかもしれない) しかし、資金難から来る装備の不足や食料の不足が現実となり、南極点への途上で退却を決断する。名誉よりも、隊員たちを無事に帰還させることを白瀬は選んだ。退却を決めた地点を「大和雪原」と名づけ、日章旗を掲げ、隊員たちと日本へ帰った。資金難は帰国後も白瀬を苦しめ、その後の生涯を借金を返すことに費やしたということだ。

しばらく忘れていた白瀬を再び思い出させてくれたのは、以前勤めていた会社の後輩M君だった。彼は大変アウトドアな男で、白瀬矗を尊敬していると公言していた。そして、真冬でも、毎晩窓を開けたまま寝袋で寝ていた。同じ頃、布団乾燥機で冷え切った布団を暖めてから床に入っていた僕とは心構えが違う。彼に会ったのは南極80年ぐらいの頃だから、それからでも20年も経っている。

ミニ南極点は、明日17日から25日までの開催なので、時間がある人はご覧頂きたい。