物
かつては「太陽電池パネル」と言われていたが、いつの頃からか「太陽光パネル」と言われるようになった。確かに、蓄電の意味は無いようだから後者の方が正確なのかもしれない。僕の場合、前者は探査機や人工衛星が宇宙空間で得る大切な電源として良い印象を…
鉄骨が複雑な構造でつながり合って、青空に聳え立っているドコモのアンテナ。その手前にギザギザな形に出来上がった複雑な枝振りの紅梅。ところで、梅の実を採るために栽培されるウメは専ら白い花でたまに薄いピンク色がある程度。紅梅は観賞用でしか見ない…
ぽかぽか陽気の日、空を見上げると鉄塔の向こうをゆっくりと雲が通り過ぎて行った。木々に若葉はまだ無いが、あちこちで梅が咲いている。週が明けると立春だ。
いろんな種類のコケや地衣類が着いてます。
この三連休では各自治会で小正月の飾り付けが作られたようだ。だいたい丸石の道祖神にある。傘のような形のこの飾りには「おやなぎ」等の名前があるようだ。折角なので散歩でぐるっと回って数か所の写真を撮ってきた。
元日に大地震、二日に飛行機事故、大変な年始になった。気を引き締め落ち着いて謙虚な気持ちで過ごせと暗示されているような気がした。
水を入れたペットボトルをウメの木にぶら下げている果樹園があった。色水が入っているものもある。鳥よけのためか、虫よけのためか、ひょっとして水じゃないのか、などなどいろいろと想像してしまう。いったいどんな効果を狙っているのだろうか。
足場などに使われる単管パイプをジョイントするクランプ。高度経済成長時代の東京近郊で少年時代を過ごした僕の周囲では、畑や森が次々と無くなり、造成されて新しい家が建てられていった。そんなこともあって、クランプなどは道端なんかにも良く落ちていた…
電線がどっさり繋がっている電柱。道路で言うところの三叉路になっているようだ。近頃「電柱鳥類学」という本を買って読んだのだが、鳥もさることながら電柱の知識を得ることが出来た。写真の上の方で横に3本並んでいる線が電力線で、下の方にあるのが通信線…
山梨でよく見られる道祖神。丸石様などと呼ばれる。(自転車ではない)
電線に何だかたくさんの鳥が止まっていて賑やかだな、と思ったら、こんな器具がたくさんついていた。
ずいぶん立派になった弁天橋。幅も広くなった。よく見ると、数メートル低いところに前の弁天橋の欄干の一部が残っていた。
ボロ電の車両が静態保存されている利根川公園、その近くにあったお菓子やさんの建物。運行されていた頃には長澤新町駅が有ったと思われる付近に立地する。横書きの看板文字が右からになっているのが古さを感じさせる。タバコや塩も売っている皆が集まる駅前…
山梨交通バスの時刻を知りたくて調べていたついでに山梨交通のことをWikipediaで見たら、山梨交通電車線のことが書かれていた。通称「ボロ電」と呼ばれ親しまれていたそうだが、僅か32年しか運行されなかった短命の鉄道路線だ。廃止されたのは僕が生まれるよ…
クズだとかフジだとかの蔓が電線に絡まっている。かなり複雑だからほどくのは無理そう。細かくブツブツと切って外すしかない。放っておくと、春から伸びる別な蔓植物がこれを足掛かりにして登って絡まり、更にひどくなるに違いない。
左端が天守台、右は明治天皇の御料地下賜に対する謝恩塔。甲府城は、徳川家康によって築城が始められた平山城(異説もあり)。堀や石垣が残り、いくつもの門や櫓が復元されている。しかし、天守閣については、有ったという説も無かったという説もあって分かっ…
送電線の鉄塔が並ぶ山の景色。電気の送電に正月休みは無い。いつも当たり前の生活をありがとうございます。
湯村山に作られた狼煙台。ぐるっと廻ったら登り口に鍵がかけられていた。ということは、年に1回行うあちこちで狼煙を上げるイベントで使うためだけに作られたということだろうか。だとすりゃ少々無駄遣いに思える。防衛費増額のために増税するとか言っている…
古い郵便ポスト。今は使われていないようで、投函口に封がされていた。もう50年も前の僕が子供の頃にはこの形のポストも現役で使用されていたが、その時分でも古いなと感じていた。
畑の中、大根と白菜に挟まれて、山梨県と刻まれた標柱があった。
しばらく前に古い家が壊されて更地になっていた場所に大きなクレーン車が入っていた。高く長いブームを伸ばして何かの作業をしていた。どうやら杭打ちをしているようだ。これは新しく民家が建つというのではなく、鉄筋コンクリート何階建てみたいなアパート…
見晴らしの良い丘の上に建つ携帯電話基地局の鉄塔。手前の小さめな鉄塔の銘板には「UQ」という文字が見えたので「au」のアンテナということだろうか。向うに建つ高くて立派なのは「docomo」の鉄塔。この丘まで歩いて昇ってくるのは一苦労だけど、電波は一瞬…
早川町の雨畑川流域で産出される粘板岩を使った伝統工芸品の雨畑硯。スマホの画面を指で触ることで文字を書く現代から遡ると、ボールペンやシャーペンを越え、更に鉛筆や万年筆も越えた昔には、大変贅沢な贈り物だったという。この小振りな雨畑硯は、きっと…
芦川沿いには幾つかの水力発電所がある。写真は芦川第二発電所、明治39年に発電を開始したという。写真中央の立木の影にあるのが発電所建屋で、写真左上から太いパイプが下りている。写真右下で白いしぶきを立てて川に注いでいるのが発電を果たした水。古い…
というわけで気を付けましょう。この近辺では田んぼが減りました。
十数年前に撮った写真。OMNIMAX(後のIMAX-DOME)は随所に機能美を感じさせる機械だった。70㎜映画フィルム、今では日本国内のラボでは現像すらできないという。
水路が住宅の間を通る。下水でなく何かの用水だったのかなと思われる水路だが、今は枯れている。水路は橋になって川の上を渡っている。住宅の庭からは下の川へ水を流す樋が突き出しているが、こちらは雨水だろうか下水だろうか。
市川大門の本通りには歴史的な建造物が多い。写真の左側は市川教会の建物で、平成9年登録の国指定有形文化財。明治(1897)30年の建築ということだ。なんと、ずっと前に他界した僕のお爺ちゃんと同い歳の建物ではないか! 手入れされ続け受け継がれてきた建物…
甲斐上野駅から歩き始め芦川駅に近い辺りにあった、籠のお店。看板には「竹細工!!」「製造販売」とある。見た感じでは既に廃業した感じだが、昔はこういうお店が普通にあちこちにあったのかな。
身延線沿いの集落で、川に木製の橋が架かっていた。橋脚は丸太の組み合わせで造られている。なんとなく背負子に薪を積んで渡る人の様子を想像したが、気付くと橋の向こう側に軽トラが止まっているのに気付いた。もしかして軽トラも渡れるのか。