埋もれる段々畑

石を積んで畑を均し、それを何段も作り上げた古の人々。山梨県はどこへ行ってもこのような棚田や段々畑を目にすることができる。写真映えがするような大規模で有名な棚田は無いかもしれないが、遠くまで足を運ぶ必要もなく、すぐそこで棚田や段々畑の石段を見ることができる。
今では重機を使って石垣を作り上げることもできようが、かつてはそうもいかない。チェーンブロックの普及も昭和に入ってからぐらいだろうし、農業への導入は難しかっただろう。そんなつもりで田畑の石垣を見ると、古いものは概ね人が持てるギリギリぐらいの大きさの石で構成されているようだ。少しでも収穫を上げるために田畑を均し石垣で囲い、更に収穫を得るために斜面に段を築いて行ったのだろう。恐らくは冬場の農閑期、掘り出した石を割り他所からも石を集め、毎年僅かずつ段々畑が斜面を登って行ったのだろう。
そして、グローバル経済が世界を覆うの今日では、国内の農作はすっかり衰退し、何代にも渡って築いたであろう山の段々畑は、この写真のように森林の中に埋もれ化石化している。一方で、生産力のあるはずの平地の農地も宅地化されて無くなっていく。
日本の農業は「国際競争力のある成長産業だ」と言う人がいるが、説得力のある説明を聞いたことが無い。