能天気なミンミンゼミ

昨日はかなりの雨降りだった。多くの小学校の運動会が延期になったようで、科学館には大勢のお父さんたちが来ていた。ミニ南極点にも興味を示してくれた人も多く、盛況だった。中には僕らと同じように土日が仕事という人もいて、「今日は休みを取っていたけれど、明日は出勤なんですよ〜」なんて、運動会の明日への延期を残念がっている人もいた。

今日は再び暑い日となった。延期になった多くの運動会も無事に開催できたことだろう。僕は今日が休みだったので、家族で出かけた。アイメッセでグルメサーカスというお祭りをやっていたので、それに行くことにした。行ってみると思いの外混雑していたが、そこそこ食べて楽しんで帰った。
その足で今度は曽根丘陵公園に行った。冷たい飲み物を時々飲みながらバドミントンを楽しんだ。背の高いケヤキが何本もあってそれが日陰を作っているから、蚊に刺される以外は快適。
そのうちセミの鳴き声が気になって写真を撮り始めた。

ところで、今日の食べ物のイベントに行って思い出したことがある。今から20年以上も前の1988年、僕が社会人になって2年目。世の中とはこんなもんか、と判ったような気になっていた頃のこと。1年数ヶ月の下働きというか研修期間というか、そんな具合で係長に付いて周っていた仕事を終えて、ようやく1人で仕事を始めるというときだった。担当地域は北海道となり、前任の先輩社員と課長の3人で札幌に来ていた。札幌は夏。北海道観光のメインシーズンだ。
ちょうどその年、札幌では「世界_食の祭典」というイベントを開催していた。当時はバブル経済の真っ只中、日本全国で「地方博」が花盛りであった。筑波で開催された科学万博以来、博覧会は特殊映像が主流となり、大型映像装置を製作していた会社の社員としては、出張際には時間を作って地方博の映像展示を見ることが大切な勉強でもあった。食の祭典でもIMAXシアターがあり、たしかグランドキャニオンを上映していた覚えがある。劇場を見て、映像を見て、IMAXのデザインファクトのことなどを課長から教えてもらったり、映写室を訪問して見せていただいたり、僕なりにずいぶん勉強になった。ただし、イベントの主人公である「食」の方はかなり悲惨な状態だった。とにかく来場者が少なくて、シアターはもちろんのこと、食べものを売っているところも閑散としていた。店じまいしてしまっている店舗も少なくなく、ジェットコースターなどの遊具も待ち時間ゼロの状態だった。課長は何度もため息をつきながら首をかしげていたが、僕は能天気に、同行していた先輩社員をはやし立ててお祭りを楽しんでいた。
思えばあれがバブル景気の下り坂の始まりだっただろうか。博覧会はいつしか本質から離れて単なる客寄せに走るようになり、首都圏の不動産景気は好調であったが故の無理な「地上げ」による犠牲者を生み出していた。北海道も不景気が覆うようになり、やがて北海道経済の根幹たる「たくぎん(北海道拓殖銀行)」の倒産に至っていった。若輩者だった僕は、そういう時代を大きな波に右へ左へ流されながら、そういうこととはきちんと気づくことなく仕事して生きていた。
セミみたいだ。