富士山級の大発見

昨夜から今朝にかけてのトップニュースは「STAP細胞」だった。理化学研究所小保方晴子研究ユニットリーダーによる発見だが、共同研究者には山梨大学若山照彦教授も名を連ねておられ、記者会見では小保方さんの隣に座っていた。若山教授には、たまたま3月に職場で開催するイベントでお話して頂くことになっているだけに、なおさらな感激だ。
今回の大発見のニュースは、僕のような極めつけの俗人にとって実に痛快な出来事だ。というのも、世界の名立たる研究者や長い細胞研究の歴史が確立してきた科学的な「ありえない、起きない」という“通説”を覆してみせたからだ。しかし、同時にそこで見誤ってはいけないのは、これまでの研究が否定されたわけではないということだろう。生命というものが、「きっとこのぐらいだろう」と暗示的に予定された科学的予測というか限界点というのか、所謂“一線”を超えてしまう力を持っていたということだ。
俗人らしく発想を広げると、長野オリンピックジャンプ競技で、実況放送に「立て立て立ってくれぇ」と言わせ、計測限界を超えた先に着地した原田選手の大ジャンプを思い出させた。また、1998年が本命だった「しし座流星群」が今ひとつだったのに対し2001年の大出現を予言し、我々に予言通りの日時に素晴らしい流星雨を見せてくれたデビッド・アッシャー博士の予測理論を思い出す。そして更に考え込むと、体細胞が弱酸性環境の中で初期化するというのなら「弱酸性ビオレで洗った僕の肌の細胞は初期化しちゃってるのか?」なんてことも思っちゃうのだ。どこまでも俗人である。
すっかり話がそれてしまったので戻そう。この分野の研究には「倫理」という言葉が付いて回る。ノーベル賞級の大発見なわけだが、例えばそのノーベルが発明したダイナマイトが平和のために利用される道具としてだけでなく、武器としての面でも牙を剥いてしまったように、どこかの誰かが悪用を思いつかないとも言い切れない。STAP細胞には、どうか悪用されず平和の中ですくすくと成長して行って欲しいと願う。