ゴツゴツとした山

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甲府盆地の北のはずれに僕が主に使う散歩道がある。そこからは盆地の北に連なる山々を間近に見ることが出来る。今は紅葉が美しい。この丸い形に見える山は、よく見ると木々の間に大きな岩がゴツゴツと顔をのぞかせる実は複雑な形の山だ。第三紀鮮新世から第四紀更新世(洪積世)にかけて活動していた水ヶ森火山群の火砕流堆積物で形作られているそうで、地質は紫蘇輝石普通輝石安山岩スコリア凝灰岩だそうだ。でかい岩たちが安山岩でその間を凝灰岩が充填しているようなイメージ。元々丸い感じの形だったのが、浸食に弱い凝灰岩が長い年月の中で削られて今のような複雑な形に変わって来たということだろうか。更に長い年月が過ぎて凝灰岩が一層削られたある日、大きな安山岩の岩が転げ落ちることものあるだろう。

晩秋の或る景色

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マルバアサガオの向こうに枯草の土地と小屋、その上に秋の空が広がっている。この枯草の場所は本来田んぼ。この初夏にも田植えがされた。しかし、その後全く手入れがなされずにいたためイヌビエが繁茂してしまい、ついに稲の背丈を越えて全面に広がってしまった。やがて暑い季節が過ぎ全部が倒伏してしまったが、ここでようやくその倒れたイヌビエの隙間から見える同じく倒れた稲がどれも生育不足で貧弱な状態であるを確認出来た。モミの中は小さいか空っぽだったかもしれない。結局、稲は収穫されることは無かった。この様子を見るにつけ、雑草とはここまで繁殖力があるものなのかとつくづく驚かされた。そして、この田んぼの主に何かあったのかと想像をめぐらしてしまった。来年は耕作放棄地になってしまうのだろうか。

田んぼの色々

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田んぼの景色として、田植え、稲刈り、はさ掛け等はどの田んぼも時期に大きな開きはないもの。でも、それが終わると景色はまだらになりがち。田起こし(秋起こし)を終えた茶色い田圃と、まだ稲の株が残りヒコバエが伸びた緑の田んぼがパッチワークのように並ぶ。稲わらを分解する微生物の活動を期待するには気温が下がらないうちに行った方が望ましいようだが、大仕事が終われば人は一息ついて落ち着いてしまいがちなもの。そろそろ森の木々はだいぶん赤や黄色に色づいた。
今夜は皆既月食甲府では良く晴れた。見た感じだいぶん明るい月食で、ダンジョンスケールは3~4ぐらいだったろうか。仕事での観望会やらんですむので気楽に見られた。

柚子の大馬鹿十八年

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「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」という言葉を聞いたことがある。それを聞いたきっかけは、僕が子供の頃のテレビコマーシャルにある。
僕の記憶が間違いでなければ、「桃栗三年柿八年、舟和の和菓子は七十年」と女性が歌う軽快なCMソングがあった。その意味が分からなかったので、当時そのぐらいの年齢だったお婆ちゃんに尋ねたところ、植えてから実が生るまでの年月だと教えてくれた。で、本当は柿の次には柚子の大馬鹿が来るというのだったのだが、柚子が70年はだいぶん行き過ぎで、柚子はたしか17年じゃったか‥いや18年じゃったかのお、みたいな答えだったように思う。実際、栽培には根気が必要な作物らしい。
歌詞の本来の意味についてはこれでそこそこ解決したのだが、では何故18年の柚子が大馬鹿とされているのかは、当時まだ幼かった僕にとって謎として記憶の奥の方にうっすらと残った。そして、それから何年も後のこと、その歌詞のそれぞれの果実の年数は人の理解度に例えられているという意味の文章に出会った。つまり、人に教え込めば3年からせいぜい8年もあれば覚えてくれるものだが中には18年もかかる大馬鹿もいるということの例えだという。それは僕のうっすらとした謎の記憶を蘇らせ、ある意味納得させ、またある意味でかえって不満を募らせた。
ところで、(株)舟和本店を調べてみたら、僕が子供の頃に創業70年を迎えているので前出のCMソングの歌詞は多分正解。今年はなんと120年。

農作業

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今日の午前中は、田んぼが広がる付近を歩いた。すると、農機を使って田の土を掘り起こしていたり、藁を集めて燃やしたりなど、あちこちで様々な作業が行われていた。きっと兼業農家の日曜作業なのだろう。ただ、1人1人は案外年齢が高い様子だった。兼業していた時代の日曜作業の習慣が定年退職した後も続いているのかもしれないと思った。

携帯電話の鉄塔2本

見晴らしの良い丘の上に建つ携帯電話基地局の鉄塔。手前の小さめな鉄塔の銘板には「UQ」という文字が見えたので「au」のアンテナということだろうか。向うに建つ高くて立派なのは「docomo」の鉄塔。この丘まで歩いて昇ってくるのは一苦労だけど、電波は一瞬。ある日、たまたま車が止まっていて点検しているところに出くわしたことがある。そういう場面でも見ない限り、日ごろからの保守活動によって安定した携帯電話通信網が支えられているのだと感じられないものだ。