祝、イプシロン打ち上げ成功

JAXAイプシロン型ロケットが見事に打ち上げられた。台風の接近が伝えられる気象条件の下であったが、問題なく打ち上げられ、積荷の人工衛星の軌道投入も成功。めでたい限りだ。素晴らしい快挙の写真を載せたいところだが、代わりにコスモスの花を撮って来たのでそれで代用する。
ところで、こんなめでたい日に何だが、僕はコスモスの花を見ると「宇宙」ではないものを思い出してしまう癖がついている。出来れば早く消え去ってしまいたい癖だ。
若い頃のこと、僕は写真の現像所でバイトをしていた。学生の頃にもやっていたし、仕事を辞めて今の仕事に就く合間にもやっていた。嫌な癖がついたのは後者の頃のことだ。デジカメ時代には思いもつかないことだろうが、フィルム時代の写真は、撮影したフィルムをカメラから取り出して写真屋さんに預ける。すると写真屋さんはフィルムを集めに来た現像所の営業マンにそれを託す。そして地域から現像所には大量のフィルムが集まってくる。夕方までに集められたフィルムは、オーバーナイトと言って、夜のうちに現像からプリントまでを終えて翌朝には写真屋さんに戻される。だから写真の現像所にとっては夜が仕事の本番であり、社員だけでなくアルバイトが大量に投入されていた。
ある夜のこと、焼き増しの担当をしていたバイト仲間の一人が、ぶつぶつ言って処理していたカットがあった。それは、前夜に処理した焼き増しの色の調子が気に食わないということで戻されてきたものだった。クレームで返却された写真を見せてもらい「別に悪く無いじゃん」と言った僕に対してバイト仲間は「だってオレが焼いたんだもん」と自信を表す言葉を言った。
次の夜、せっかく焼き直した写真は再び戻ってきた。再びその写真を手にしたバイト仲間は「頭に来るなあ、ちくしょう」と大きな声を出したので、僕はそれを覗き込んだ。クレームを記したメモがあり、その文面がバイト仲間を苛立たせていた。
数日後、またもその写真がクレームで戻ってきた。そして手にしたのはまたも同じバイト仲間だった。彼は「またかよ、このコスモスばばあ!」と怒りの言葉を叫び、社員に相談に行った。今度は、更にグレードアップしたクレーム文と色見本がつけられていた。色見本は一番最初にダイレクトプリントで焼かれたものだろうが、僕にはむしろクレームで返されたプリントの方が色の調子が良いと思った。バイト仲間は社員に指示された通り、調子を変えた何枚か写真を焼いた。「なんでこんな写真を何枚も焼かなきゃいけねえんだよ」「安い店に出してんだから偉そうにすんな」と、普段は淡々と仕事をこなす男が、つけられてきたクレーム文以上に怒りを表現していた。その写真は街の写真屋さんではなく、「焼き増し1枚10円」のような安さを売りにした薬屋さんやホームセンターのような場所からのものだったのだ。
問題のカットは、手前に芝生があり、真ん中から向こう側が満開のコスモス畑になっている。そして芝生に敷かれたレジャーマットに座ったおばさん2人が線対称にこちら側を振り返っている構図だった。ついでに言うと、少しピントもボケていた。バイト仲間は「死ね、コスモスばばあ」などと言いながら焼いた数枚の写真を色見本と供に主任社員のところへ持って行き、1枚だけ選んでもらった。もちろんその社員も首を傾げながら選び、バイト仲間をねぎらっていた。結局、わずか10円の仕事でバイト仲間は延べ数十分働かされ、現像所はわずか数円の利益をはるかに上回る4桁円に及びそうな赤字を出したことになる。
僕はそれ以来、コスモスの花を見ると、美しいと感じることも無く、宇宙を連想することも無く、「コスモスばばあ」が写っていたあの写真と一連の出来事を思い出してしまうのだ。