節分

今夜は豆まきをした。それを拾って、僕が食べる数はついに50個だ。歳をとったものだ。子どもの頃は「これしか食べさせてもらえないのか」と思っていたものだが、50個を食べるとなると途中で飽きてしまうほどだった。しかも、腹の中で膨れているのか、胃が苦しくなってきたぞ。
薬売りの話の続きをしよう。
歳は40代半ばというところだろうか、体は細身の筋肉質で、髪は短髪。僕たちは宿の浴衣を着ているが、薬売りはいつも自前のパジャマを着ている。富山の薬売りには縄張りがあって、守られている。縄張りは親から引き継ぐのだそうだ。彼は北海道のこの町あたりと、茨城の方に縄張りがある。それぞれ2ヶ月程度の期間、馴染みの宿に長逗留し得意先の民家を巡って薬を売る。「夏場は何処へ行くのか」と聞いたら、「田んぼしなきゃいけねえだろ」と当たり前のように言われた。つまり薬売りというのは農家の冬の副業なのだ。そしてそれが組織化されて全国展開している。
話は続いた。しかも玄関先で話をしながらの商売だから話芸にも長けている。そんな口から聞いた、僕らとは違う行商人の独特の世界はとても興味深かった。若い頃には、何ヶ月もの間遠洋漁業に出ている夫を持つ若い奥さんと・・・なんていう話もあった。北海道は寒いからさあ、という話では、「車の鍵穴が凍ったらどうするか」と問われた。僕らがちょっと思いつかないでいると、「こうするんだよ」と言ってポケットから百円ライターを取り出してシュボッと点けた。「これで鍵を炙ってから突っ込んでいくんだよ」そして鍵の代わりに煙草に火をつけた。
我が家に来る薬売りは、妻によれば夏場も来るそうだ。薬売りの世界も変わったのだろう。もはや農家の副業ではなく、サラリーマンなのだ。あの薬売りはどうしているだろうか。まだ元気に薬を売り歩いているだろうか。それとも縄張りを息子に引き継いだだろうか。それとも時の流れがそれらを変えてしまっただろうか。僕には、今夜もあの民宿の食堂でペットボトルの焼酎をパジャマ姿で傾けている、歳だけは重ねた薬売りの姿が浮かぶ。