バスと人力車

浅草のお寺の周囲には、思いの外多くの人力車があった。それが空いているのでもなく、ほとんどが客を乗せていた。
僕が子どもの頃には人力車なんて見た覚えが無い。せいぜいテレビの映像の中で見たぐらいだ。だから、伝統的なものが残されていると思われると誤解だと思う。だってよく見れば人力車はどれも新しい。牽いている人たちも若い。バスの横を追い越していく人力車、こんな写真を見ると古い伝統の力が新しいものに勝ったような、そんな感動話みたいにも思われてしまうが、実はそうでもない。
僕が子どもの頃に浅草の観音様に来ると、そもそも昨日のように混雑はしていなかった。仲見世だって歩きやすくて雷門からお寺まで見通せたものだ。昨日あたりは人だらけですぐそこだって見えやしない。ここ数年は外人さんの観光客も多くなって、ずいぶん混雑している。まるで初詣の頃みたいだ。そう、30〜40年前の浅草は寂れていた。当時は古臭いものはあまり好まれなかった。皆、新しいものに群がった時代だ。自転車では皮サドルがすたれ、自動車は角型から流線型になり、盆踊りの浴衣姿ですら今よりもずっと少なかった。
そんな頃の浅草では、観音様の境内で煙管(キセル)を売っている人が何人かいた。僕はそれを見るのがちょっと好きだった。子どもだからもちろん煙草は吸わないが、煙管の色合いがよかった。煙管を売っている人はそれ専用のトランクと並べて飾るための専用のハンガーのような道具を持っていて、そこへずらっと煙管を並べていた。色とりどりだ。吸い口の部分と先端の火皿の部分は金属で出来ていて、だいたい銀色だった。たまに金色のもあったかもしれない。それが、つるっと綺麗に磨かれたというよりも、ちょっとでこぼこ感がある、例えるならばウルトラマンの初期のマスクのような表面の感じが、手作りを強く感じされた。更に良いのは吸い口と火皿とを繋ぐパイプの部分で、これにいろんな色と模様があった。まるで文房具屋さんのガラスの中に並べられた万年筆の軸のような、色と模様の華やかさだった。
煙管屋さんのおじさんは、買うはずも無い子どもには見向きもせずに、椅子に座って足を組み煙管で煙草をふかしている。吸い終わると火皿をひっくり返してポンポンと叩く。で、こっちを向いて「欲しいか、ハハハ、まだ十年早えや」そんな事を言って向こうを向いてしまう。バサバサバサっと鳩が舞い上がる。鳩の餌を売っている人もいた。のんびりした境内だった。煙草自体が嫌われる時代になり、煙管も煙管屋さんも今はどこかへ行ってしまった。