富士山の模型

謹賀新年。
この山の形が見えると「あ、富士山だ」となるものだ。ほかの山は数々あれども、富士山のように何処から見ても一目でそれだと分かる山はなかなか無い。この形は子供の頃からそれを見たことが無くても知っているし、学校で習う歌にも出てくる。山の絵を描けと突然言われたとしたら、きっとこの形を書く人が半数以上になる。例えば、そういうところが、富士山というものが日本の文化の中に深く根ざしているというのだろう。
昨年、ユネスコ世界文化遺産に富士山が選定された。それでお祝いムードの昨年であったが、遡れば富士山は世界自然遺産で落選した後の文化遺産推薦であった。これを忘れないようにしなければならないだろう。富士山のこの形は自然に出来たものであって、日本の文化が作った形ではないし、いろんな所謂「文化」の様々な断片が富士山の自然を蝕んでいることに反省しなければならないだろうと思う。もっとも、そもそもユネスコに遺産として選定されなくても、大切なものに変わりないはずのものであるはずだ。
それでも、「あれを残してこれを繕い」「この義理を通してあちらに目を瞑る」というようないろんな事情の絡み合わせの中で、本物の富士山がこんなハリボテになってしまわないように願いたい。
ああ、偉そうなことを書いてしまった。